

大学卒業後、すぐにカフェ視察の為、ヨーロッパに渡る。
半年間様々な国のカフェを巡り、メニューや味を研究する。
南はスペイン、ポルトガルから北はスウェーデン、東はチェコ、ハンガリーまで
訪れた国はヨーロッパだけで十数カ国。
帰国後、某外食大手に入社。仕事の合間にコーヒーの勉強を重ねる。
次第に『コーヒーを極めたい』という思いが強くなり退職。
珈琲工房ホリグチ(現ホリグチコーヒー)に入社。喫茶を経て焙煎担当を務める。
4年後、『コーヒー屋は産地を知らなければならない』という考えのもと退職。
コーヒー豆の勉強の為、単身中米に渡る。
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グアテマラ、コスタリカ、ニカラグア、メキシコでホームステイをしながら、
スペイン語とコーヒー豆の栽培や精製、流通について学ぶ。 |

このとき日本には輸出されていない数多くの素晴らしいコーヒー豆と出会い、
中米スペシャルティコーヒーの専門店を創ろうと決意。
そのために現地コーヒー機関、農園やエクスポーターなどを巡り、
コーヒー関係者達との交流を深め、独自のネットワークを構築する。
ニカラグアのカフェ&ロースターで働いた後、掛け3年にわたる留学の
締めくくりとしてエルサルバドルのコーヒー学校(Escuela de Cafe)に入学。(日本人初) |

その時のコーヒーの先生に推薦してもらい、エルサルバドルの
カップオブエクセレンス2008に正式オブザーバー兼スタッフとして参加。
外国人として初めてCOE国内予選から国際審査まで全ての運営過程に参加。
翌年2009年のCOE国際審査にも参加。 |

企業に属していない個人が一人で原産地に行き、コーヒーを勉強する姿は、現地メディアでもたびたび紹介された。 |

3/29/2008 エルサルバドルの新聞"El diario de hoy"に掲載された
カップオブエクセレンス国内予選カッピング中の店長
2008年10月 中米スペシャルティコーヒー専門店『cafetenango』を創立。

スペシャルティコーヒー専門焙煎店の新しい形を提示。
農園主や現地コーヒー協会などと連絡を取りながら最新のコーヒー豆情報を収集して、
『農園から1杯のカップまで』をモットーにこだわりのコーヒー豆を提供している。 |
『世田谷コーヒー宣言』
コーヒーは舶来物であるがゆえ、今までは農園や精製工程を知る者はほとんどいなかった。
輸入されて、そこにあるものがコーヒーであり、
『日本の中にあるコーヒー』をコーヒーとして捉えていた。
つまり、栽培や精製・輸送といったことまでは、なかなか見えなかったが為に、
そこにある茶色いコーヒー豆を見るほかはなかった。
白い花が咲き、赤い実がなり、誰がそれを、一ポンドいくらで摘み取っているかなど
想像できなかったはずだ。
それゆえ、コーヒーの味は抽出にゆだねられていた。
抽出偏重のコーヒー文化が花開いたのはこの為である。
「抽出にこだわる時代」。
それはそのまま「喫茶店隆盛の時代」でもある。
各店がサイフォンやネルを使い、様々な方法で、ときには我流の器具を作り、
その技術やこだわりから生み出される多彩な味を競った。
しかし、現在はどうだろう。
昔ながらの喫茶店は減少の一途をたどっている。
それは、「抽出の時代」が終わったことを意味している。
スペシャルティコーヒーという新しい品質基準で評価されたコーヒーが現れたのをきっかけに
『生豆の時代』が到来したのだ。
どこで、誰が、どのような考え方で、どの品種を、どんな精製方法で製品にするのかを
徹底的に明確にしたこの新しいコーヒーは
それを扱う者に対して『産地の知識』を要求する。
与えられた産地の情報を読み解くには、産地の経験と知識が必要不可欠だからだ。
これは、従来の日本の中だけでコーヒーを考えていた時代から、
世界(生産地)を含めてトータル的にコーヒーを捉える時代への転換である。
『生豆の時代』という新しいコーヒーの時代には
『産地から抽出まで』の全てを『コーヒー』として捉えなおすことができなければ
コーヒー屋は生き残れない。
カフェテナンゴは、
自分の力で産地の情報を掴み取り、その情報と知識を焙煎に活かして
抽出後の味を創るという新しい発想を持った
新しい時代のコーヒー焙煎店として生まれた。
徹底的な産地の知識を持ち、
コーヒー豆の個性を正確に捉えて明確に表現し、
新鮮な状態でのみ販売するという
「新しい高品質」
私はこの新しい美味しさを、世田谷区深沢から発信していくことを宣言する。
カフェテナンゴ代表 栢沼良行
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